一晩中、2〜3分間隔の陣痛に苦しみ、叫び散らして朝を迎えました。
あとどれぐらい続くのか、終わりが見えない痛みに体力はもう限界。
これからが本番なのに、ちゃんと産めるのかとても不安です。
前回までの陣痛のお話はこちら→予定日超過7日目に陣痛!一晩中の陣痛と孤独に戦った出産までの記録
今回は、
- ついに迎えた出産
- 赤ちゃん誕生
のお話です。
一晩中の陣痛で体力の限界
叫び続けたまま朝を迎えました。
陣痛が和らぐ体勢も調べて練習はしていましたが、そんなもの存在しません。
痛みでその体勢になることすら無理でした。
一晩中ただただ耐えるしかなかった。
叫び続け、喉はガサガサ、声もガラガラ。
夫の立ち合い出産はいったいいつからなのか。
コロナじゃなかったら、病室にいてくれたはずなのに。
持ってきたテニスボールは使うことなくバッグに入ったままです。
6:00 子宮口まだ4センチ
おばさん助産師が子宮口の確認に来ました。
まだ4センチだから、待つしかないと。
夫へ、もうお腹を切ってほしいと連絡してしまうほど、辛かったです。
体力はかなり消耗していて、叫ぶ元気もなくなりつつあります。
当然、朝ご飯は食べられませんでした。
なんとかゼリーを飲んでチャージ。
うなりながら、子宮口が開くのを待ちます。
9:30 先生の診察で子宮口8センチ
朝から担当助産師が変わりました。
若い優しそうな方でホッと一安心。
連れられて診察室へ。
先生は内診するなりピリっとした表情に変わり、助産師さんへ
「もう8センチじゃない!見てなかったの!?すぐ移動!」
と少し怒ったような口調。
変わった助産師さんは、そのとき初めてだったので、
6時におばさんが子宮口確認してからは誰も見に来ていませんでした。
陣痛の間隔も計っていないので不明。
誰がどうなのか分かりませんが、とにかくLDRへ移動できるので安心しました。
もう一人ぼっちにされないはず。
慌ただしく支度をし歩いて移動。
途中、助産師さんたちが
「よかった!よく頑張ったね!あとちょっと頑張って!」
と声を掛けてくれました。
あのおばさん以外は本当に優しい助産師さんばかり。
分娩台へ上がり、モニターをつけました。
陣痛の波が数値で出るので、かなり強くなっていることが分かりました。
まだ、いきまないよう耐えます。
しばらくすると、先生がきて、
「自然に陣痛が来たから、このままお産の予定だったけど、体力がかなり消耗してるので、これから促進剤を入れますね」
とのこと。
もうなんでもいいから早くこの痛みから解放されたいという気持ちでした。
分娩室で4時間いきみ続ける
前日から時間の感覚もなければ、記憶も曖昧なところが多いです。
家族とのやり取りを見返して書いていますが、そのときは辛く長く感じていたものの、こんなに時間が経っていたのかとびっくりしました。
よく耐えたな私(笑)
分娩室へ移動してからも長かった。
準備が整ってからは、陣痛の波に合わせていきみ始めてはいたのですが、まだもう少しかなというとき。
隣の部屋の経産婦さんのほうが先に進み始めたということで、分娩室はバタバタ。
先生も助産師さんもそちらへ移動してしまいました。
残っていた助産師さんと、いきむ練習をしたり、ひたすら痛みに耐えて待ちました。
いつの間にか酸素マスクがつけられ、赤ちゃんに酸素を送るために、しっかり呼吸してねと言われました。
経産婦さんが出産を終えると、すぐに先生と助産師さんたちが戻ってきて、分娩室はにぎやかに。
最終的に先生3人、助産師さんは5人以上いたと思います。
どんな顔をしようが、どこを見られようが、大が出てしまおうが(笑)、そんなこともうどうでもよくなっていました。
MINMIの歌に励まされた
本格的に産む体勢になり、何度もいきんで赤ちゃんは少しずつ産道を進んでいます。
頑張れ!と心の中なのか声に出したのかは分かりませんが、そう思っていました。
出産への不安でいろいろ検索していたとき、私はMINMIのキセキという歌を知りよく聞いていました。
歌詞の中で
「そこに辿り着くために
流れの速い川を渡って
息もできない海を越えて
一人暗闇でいつか会えるまで頑張るよ」
というところが特に好きで。
赤ちゃんも、これから産まれてくるために頑張ってくれるんだ。
私に会うために怖くても勇気を出して産まれてきてくれるんだ。
そんな気持ちになって、私も頑張らなくてはといつも思っていました。
誰に教わったわけでもないのに、旋回しながら上手に産まれて来れるのは、本当にすごいことだなと思います。
もちろんこの壮絶な陣痛の中、穏やかに赤ちゃんも頑張ってるから、と思う余裕はありませんでした。
でも、自分だけが辛いんじゃなくて、赤ちゃんも一緒に頑張ってくれているという気持ちはずっと心の中にありました。
誕生15分前に呼ばれた夫とサンシャイン池崎
駐車場で4時間待機していた夫が分娩室へ呼ばれました。
夫が入ってきたときには、赤ちゃんはもうすぐそこ。
先生たちが明るく盛り上げてくれる雰囲気に、
ついて来れていない夫。
テニスボールでいきみ逃しをする気満々だったらしい。
もう逃がす時期は終わってます。
ゴールが見えてきて、気合いを入れ直しましたが、
体力はもう限界。
会陰はいつ切られたのか分からないほど。
サンシャイン池崎でいきむといい!
というのを思い出して、
イェェェーーの感じでフゥー!とやってみたんですが、
声を出したら力が入らないからやめてと先生に言われ(笑)
その後は陣痛の波に合わせて、大きく息を吸い込み、息を止めていきむ。
を繰り返しました。
それでもなかなか出てこれない。
先生にお腹を押されて1回目、
あまりの痛さに、力を入れられなくなってしまいました。
赤ちゃんが一気に出てくることができず、苦しそう。
とても焦りました。
気を取り直してもう一度、
陣痛に合わせ、先生にお腹を思いっきり押され、
力いっぱいいきみました。
誕生!!!!!
あれ?泣いてる?
先生は
「声がすごく小さいけど、泣いてるから大丈夫、女の子ですよ」
と。
そのまま、すぐそばのベッドに寝かせられ、
細いチューブで吸引されています。
不安な顔をしていると、助産師さんが
「羊水を飲んでしまったから、しっかり吸引しているだけですよ。
今しっかりと吸引したら大丈夫ですからね。」
そう言ってくれましたが、本当に不安でした。
どうしよう、自分が一気に出してあげられなかったからだと。
きっと5分ぐらいの時間だと思いますが、とても長く感じました。
赤ちゃんが胸元に寝かせられました。
小さくて愛おしい。
産まれてきてくれてありがとう。
本当に可愛くて可愛くて。
あんなに大変だった陣痛のことなど吹き飛びました。
先生がカメラを持っている夫を見て、写真を撮ってあげてと助産師さんに言ってくれました。
写真を撮ってすぐ、
「ご主人はここで退出となります」
助産師さんに言われ、滞在時間20分ほどで帰っていきました。
立ち合い出産とは、、、という感じです。
あの壮絶な陣痛を知らないなんて。
まとめ
今回は、一晩中の陣痛明けからの出産のお話でした。
出産は本当に大変です。
世のお母さんたちを本当に尊敬します。
産まれてきてくれてありがとうの気持ちと同時に、
こんな大変な思いをして産んでくれた母にも、ありがとうという気持ちです。
次回は、出産直後のカンガルーケアと、産後の過酷な入院生活についてのお話です。
お読みいただきありがとうございました。
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